「人生ってのは山あり谷ありなんだよ」って聞いたとき
それは異国・異文化で暮らす人々の生活ぶりのことのように聞こえた。
「北極や南極では太陽が沈まぬ日があるのだよ。」とか
「暖かそうな毛のアルパカは灼熱砂漠のラクダと仲間なのだよ。」とか。
「へぇそうなんだ。」
実生活には全くもって関係のないことだし
さらに枕元で語られる夢物語の行く末に思いを馳せたり
未知のものに瞳を輝かせるような子どもでもなかった。
ただ単に興味がなかっただけかもしれないし
もしかしたらそれが正しいと思ったり、楽だったりしたんだ。
「どうして?」とは聞かなかった。
「太陽ばかり顔を出して、お月様はどこにいるの?」とか
「アルパカとラクダは家族なのになんで別々に住んでるの?」とか。
「人生ってなぁに?」
小さいうちにもっともっと知らないことや分からないことに
「はてな」をたくさん付けて、大人をたくさん困らせてやればよかった。
「へぇ、そうなんだ。」という
「はい、わかりました。」と同義語に近しい言葉ではなく
観たことや感じたことのないものには「はてな」をつけて。
大人になると
暗黙の了解が増えてゆく。
ふたつと同じ道を歩まれることのない道。
山の異なる傾斜や高さも
絶壁を従えた谷に潜む闇の深さも
大きな「人生」という枠にくくられ唱和されてゆく。
唱和以外のことには
口を閉ざすことが増える。
「人生」の枠に「暗黙の了解」の項が含まれているなら
もっと小さなとき、「許されるとき」に、
無邪気に残酷に質問すればよかった。
「大人」が相手だと
みんな口が堅くなる。
「暗黙の了解」というもののうえに
知らないことを「知っている」ような
観たことのないものを「観た」ような
感じたことの無いものを「感じた」ように述べる方法をしっている。
異国に住み
異文化を愛しみ
天を仰ぐ山を従えて
秘境の谷に身を潜める
目の前のあなた。
人生の山や谷。
他者には背負うことは出来ないと知っているあなた。
どうやったらこの国境はぶち壊せるのだろう。
ひとつにはなれないと知っていても。
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